一審の裁判員裁判の死刑判決が上訴で破棄された事案の報道が相次いでいます。
まず12月2日に、大阪の繁華街における通り魔事件で一審の裁判員裁判の判決が控訴審で破棄され、上告審でも控訴審の判断が維持されたという件が報道されました。
次いで、12月5日に、熊谷市で6人を殺害した強盗殺人事件で一審の裁判員裁判の判決が控訴審で破棄されました。
これらは裁判員裁判の判断では死刑とされながら、控訴審などではそれを覆して無期懲役としたものです。
いずれも、一般市民である裁判員の判断を軽視するのか、裁判員裁判の意義がなくなるのではないかなどという批判がされています。
もっとも、この2件は死刑判決を破棄した理由において根本的に異なります。
大阪の通り魔事件は、端的に述べれば控訴審や上告審が裁判員の量刑判断が誤っているという判断をしたものです。
同様の判断は神戸市女児殺害事件などでもなされており、裁判員の量刑判断を軽視するのかという批判がなされてきました。
対して、熊谷市の強盗殺人事件はこれらとは異なります。
この事件では責任能力が争いになっており、控訴審で死刑が破棄されたのは一審と責任能力の判断が異なって心神耗弱とされたからです。
一審では完全責任能力が認められたものの控訴審では心神耗弱であると認定されたのですが、刑法において心神耗弱と認定された場合は刑を減軽せねばならず(刑法39条2項)、死刑を減軽する場合の最高刑は無期懲役となるため(刑法68条1号)、そもそも死刑にすることができないのです。
つまり、大阪の通り魔事件や神戸市女児殺害事件は純粋な量刑判断として死刑が妥当かどうかの問題でしたが、熊谷市の強盗殺人事件では心神耗弱と認定した以上、死刑が選択できなかった事案なのです。
熊谷市の強盗殺人事件の問題の本質は裁判員による責任能力の判断の問題といえます。
そもそも責任能力の判断は精神医学も絡む問題であって、裁判官を含む法律家にも判断が難しい問題です。
精神科医による鑑定がなされますし法定では精神科医の証人尋問が行われるのが常ですが、重大な事件では複数の精神科医が証言してそれぞれ異なる見解を述べる場合がよくあり、そのような場合の判断は非常に難しいものとなります。
量刑判断と異なり市民感覚の反映の問題と割り切ることも困難ではないでしょうか。
今回の熊谷市の強盗殺人事件に関しては上告もなされると思いますが、最高裁の判断もどうなるかはまだ分かりません。
6名を殺害した強盗殺人事件という選び得る中での最高刑を選択することに躊躇がないと思われる事案ですから、その判断は上告審でも非常に難しいものとなることが予想されます。